オタクが憧れのイラストレーターさんに遭遇した思い出

わかりやすいオタク

私はオタクである。

その道の本当のオタクの方々に比べると、知識も経験もオタクであるなどというにはおこがましいレベルなので、正確に言うと「にわかオタク」が関の山なのだが、世間一般の広い範囲で言うとそれに分類されるであろうということから、ここでは便宜上オタクとしておく。

気づいた時には既にオタクだった。というか、「世の中ではこういう人間はオタクと言うのか」と認識するまで、そうであるということすら知らなかったし、疑問を持ったこともなかった。

要するに、ちょっと前に「オタク」というとよくイメージされていたような、わかりやすいオタクだったのである。

当時のいでたちはこんな感じだ。

眼鏡こそかけていないものの、一目で「あっオタクだ!」とわかる感じ

そんな私がなんのオタクだったかというと、主にテレビゲームである。

「ゲームのしすぎで姿勢が悪い」というのが超かっこいいと思っていた。本気で。

対戦ものは苦手だったので、家で一人で黙々とできるRPGやシミュレーションを特に好んでやっていた。

学校と食事と睡眠以外はずーっとゲームをしていた私に、ある日父親が言った。

「東京ゲームショーってのがあるみたいだけど、行く?」

当時小学生で、前述の通り生きるのに必要な最低限の行動と義務教育以外は、家でゲームをしていた私。

家族との旅行以外で遠出をすることはおろか、何かの催し物に、しかも当時なんとなく悪影響という風潮のあったテレビゲームの何かに参加するなんてそれまで考えたこともなかったので、まさに青天の霹靂である。

さらに父は、ファミコンやらプレステやらの何かゲームが発売されているという知識こそあっても、ゲームそのもののことは一切知らない人間だ。

なぜ突然そんなことを言い出したのかは全くわからないが、テレビのニュースか何かでやっていて、娘を連れて行ったら喜ぶだろうと思ったのだろうか。

細かいことはともかく、”ゲームのイベント”というだけでテンションが上がった私は「行く!!!!!!」と答えていた。

初めてのゲームショー

当日は私と父の二人でゲームショーに行った。

事前情報を全く持たずに会場についた私は衝撃を受けた。

大好きなゲームのビジュアルやゲームメーカーのロゴが、めちゃくちゃでかい印刷物やバルーンになってそこかしこにあふれている!!

普段は悪者扱いをされているゲームが!こんなに大きな会場で!!めちゃくちゃキラキラしている!!!

ゲームしかない空間!!!!これはパラダイスか!!!!!

大好きなものが全肯定された空間を初めて見た私は、それだけでめちゃくちゃ感動した。

ただし、何度も言うが、私はオタクである。

それもかなりめんどくさいタイプのオタクだった。

燦然と輝くステージに設置されているゲーム台で体験版を遊ぶなんてことは、当時の私にとってあまりにも眩しく、あまりにもレベルが高すぎた。

正確に言うと、ゲームメーカーの担当者と会話することが恥ずかしくてできない。さらに言うと、その体験版を遊ぶ列に並ぶのすら恥ずかしかったのである。

父に「並ばなくていいの?」とちょいちょい言われながらも、会場をウロウロして、発売前のゲームのビジュアルや、無料で配られるパンフレットを眺めるだけで十分幸せだった。

遭遇

ところで「マリーのアトリエ」というゲームをご存知だろうか。

実は衣装がかなりセクシーなのだが、キャラクターがヘルシーなので全然気にならなかった

いまだに新作が発売され続けている、「アトリエシリーズ」と呼ばれるゲームの初代が「マリーのアトリエ」である。

私はこのゲームが大好きだった。このゲーム独自の調合システムもめちゃくちゃ面白くて好きだったが、何よりもイラストが物凄く、ものすごーーーーく大好きだったのである。

この時のゲームショーで、このマリーのアトリエを発売したガストという会社のブースに、イラストを担当した桜瀬琥姫さんというイラストレーターの方がゲストで来ていて、確かトークショー的なものをしていた。私はそれを見に向かったか、見終わったかのどちらかだったと思う。

「思う」なのは、前後の記憶が曖昧だからだ。

その時なぜか私は父と離れて単独行動をしていた。

なんとはなしにブース間を歩いていたら、目の前を桜瀬琥姫さんが一人で歩いていた。

移動中か休憩中かはわからない。しかし誰も声をかけないのが不思議だった。

(え?桜瀬琥姫さんだよ?誰も声かけないの??このままではどこかに行ってしまう、どうしよう、声かけようかな、いや、もう二度とこんな機会ないかもしれない!!迷ってる場合じゃない!!)

事故に遭った時の走馬灯のごとく瞬時に頭をフル回転させた私は、ありったけの勇気を振り絞って声をかけた。

「あ、あの、桜瀬琥姫さんですよね?」

声が震えていた。どうしよう、声かけちゃった。

「?はい、そうです」

桜瀬さんが立ち止まってくれた。近くで見ると思ったよりも小柄な人だった。

(ウワーーー!どうしようどうしよう、引き止めたは良いもののどうしたらいいんだ!サインしてもらうものなんて持ってないし、もし急いでたらあまり長く引き止めても申し訳ないし、それより不審者に思われたらどうしよう!うわーえーとえーとえーと)

「あ、あの、握手してください!!!」

そう言うのが精一杯だった。桜瀬さんはすんなり握手してくれた。私は緊張で震えていたし、泣きそうだった。

「あ、ありがとうございます!頑張ってください!!」

桜瀬さんはニコッと笑って会釈してくれた。私は泣きそうな表情筋をなんとか笑顔にしようと必死だった。というか多分既に泣いていたので相当奇妙な顔になっていたと思う。

一瞬の出来事だった。

桜瀬さんが去った直後から、「握手ってなんだよ…イラスト大好きですとか、応援していますとか、感激して泣いちゃいましたとか、もっと何か言いようがあっただろ…」とか、「父を呼んでサインしてもらえばよかったかな」とか、「いやむしろ今からでも追いかけてサインしてもらおうか」とか、「それより気持ち悪いって思われてたらどうしよう、申し訳ない」とか、色々なことが頭を巡ったが、後の祭りだった。そんなもんである。

よくわからないいろんな感情が押し寄せて号泣しそうになるのをこらえつつ、父と合流し、自分なりに先ほどの出来事と感激したことを伝えたつもりだったが、父は「ふーん」という感じの反応だったと思う。そんなもんである。

グッズの購入

それから各ブースとは別に、グッズ売り場があることに気づいた。

ガストのグッズ売り場はマリーのアトリエのイラストがあったのですぐにわかった。

もう夕方にさしかかっていたので、だいぶ人も少なくなり、めぼしいものはあらかた売れて、グッズ販売の担当者は在庫を捌けさせようと必死だった。

グッズのラインナップをみた。マリーのアトリエのグッズは色々あったようだが、残っているのはスペシャルセットみたいな高額のものだけだった。

なんとしても売り切りたいのか、値段の部分が手書きで上から書き直されてちょっと安くなっていた。

客が誰もおらず、呼び込みをしている担当者だけしかいない売り場に足を運ぶのは当時の私には勇気がいる行動だったと思うが、グッズ売り場はライトアップされていなかったし、作りが簡素でなんだかちょっと屋台みたいだったし、それにおそらく桜瀬さんとの遭遇イベントで頭がバグって気が大きくなっていたのだろう。

自分のお小遣いでなのか、父に頼んだのかは定かではないが、私はその売れ残った一番高いスペシャルセットを買った。

ステーショナリーやポスターなどのグッズに混じって、ミルクパンとビーカーが入っていた。

「そんなの買ってどうするの」的なことを父に言われたような気がする。その通りである。

使う予定が全くないが、でも大好きなマリーのアトリエのグッズだ。私にとっては宝物だった。

大事にしまい込み、そのあと何年か経つうちに棚の整理や大掃除があっても「これは捨てられないな…」と取っておき、ごくたまにお菓子作りをする時に使う以外は、実家の棚の奥に置いてあった。

記憶との再会

そして私は大人になり、就職をし、一人暮らしをし、転職をし、結婚をした。その間もこのミルクパンとビーカーは一緒に移動していて、使う頻度も少しずつ増えた。

久しぶりに道具として使うためにミルクパンを出した私は、今更ながらふと気づいた。

普段からよく使っているビーカーも改めてよく見てみた。

どちらも、シールなどの簡易的な処理ではなく、直接印刷しているのである。

今ならわかるが、こういうグッズでよくやるのは、透明シールに印刷して対象に貼り付けるというものだ。

なぜなら直接印刷するとなると版代や加工代など色々と手間やお金がかかるため、どうしても簡単で安いシールで済ませがちなのだ。

今ならもっと簡単に直接プリントする技術も出てきているけれど、この当時わざわざこういったものを作るのはかなりチャレンジだったのではないだろうか?憶測だけど。

それがわかった時、初めてのゲームショーの思い出が蘇ったのであった。

大人になった私は、あの頃よりはいくらか明るいオタクになり、そしてグッズを作る側になった。

ゲームの要である「調合」というシステムとリンクした、鍋とビーカーという物のチョイス。そしてどちらも時を経ても丈夫で使いやすく、グッズと一言で片付けるにはもったいないくらいしっかりしていて、コンテンツへの愛を感じる商品。

当時このミルクパンとビーカーを作ったグッズ担当の人とは仲良くなれそうな気がする。

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